高橋ゴロウ氏とゴローズの歴史

高橋吾郎氏の人生

■ プロフィール
名前 : 高橋吾郎(ゴローさん)
生年月日 : 1939年6月29日

ゴローズ goros イメージ画像 ゴローズは国内のインディアンジュエリー界の第一人者であり伝説的存在で、高橋吾郎氏が、高校生のときに進駐軍から革の彫刻を教わって、独学で勉強して27歳のときに青山に小さなショップをオープンさせたのが始まりです。

その後アメリカに渡り、インディオからシルバーの彫金を学び、現地のインディアン族であるスー族のメディスンマンのヴィジョンより、日本人で初めて「イエローイーグル」(東から来た鷲という意味)というインディアンネームを授かりました。

また、アリゾナで高橋吾郎氏が作ったレザーのバッグやカービングベルトなどを「どこで買ったのか?」と聞いてきた男との出会いが、インディアンジュエリーを作り始めたきっかけです。

その人物とは友人にもなり、現地のネイティブ達が作る銀細工のやり方を教わるきっかけにもなりました。そこで初めて本場のインディアンジュエリーに触れる機会が出来、高橋吾郎氏にとってのシルバーアクセサリー人生の始まりになりました。

その後、「イエローイーグル」の名を授かった試練がありました。スー族に伝わるスウェットロッジの儀式を受けた2年後に行われる、難しくあまりにも厳しい試練サンダンスの「ハンブレチヤ」という試練です。その試練は4日間食べ物はおろか、水すら口にすることができず眠る事すらできません。ドラムに合わせながら、大地を踏み鳴らしサンダンスの木の周りを回り続けるのです。4日目にはピアシングというイーグルの爪を胸の肉に通して引っかけ木に結び、それを「マッスルに力を込めて外す」というのです。勇気どころか恐怖すら感じます。もちろん全員がやり遂げられるとは限らない試練です。

最後には肉がちぎれ血も流れ、母なる大地と結ばれるのです。傷にはセージの葉を使って手当するだけです。35歳の時にその儀式で高橋吾郎さんを導いたビジョン、スー族のメディスンマンが付けてくれた「イエローイーグル」なのです。高橋吾郎氏はこの日本唯一のインディアンネームである「イエローイーグル」の名に誇りを持っており、「僕のつくった 物が人の手に渡り、その人が歩む人生を僕も一緒に旅をするんだ。素晴らしい事だ。」と言っていました。

帰国後は、ショップを青山から現在の原宿へと移転し、正統派インディアンジュエリーに高橋氏の独創的な感性が加味されて、更にパワーアップし洗練されたラインを創作し始めます。そして90年代前半には、制作が間に合わないほどオーダーが殺到し、一躍シルバーアクセ界での名声は不動のものとなりました。多くのファッションセレブをファンに持ち、 芸能人では木村拓哉、金子賢、三宅健、岩城晃一、土屋アンナなどが愛用していることで有名になるほど大きくなり、現在でもお店の前にはゴローズを求めて早朝から長蛇の列が出来るほど人気があります。

イエローイーグルの名づけ親のスー族とは

「スー」とは部族名であり、アルゴンキン語族のオジブワ族が彼らの事を「ナドウェズスー」と呼んでいます。意味は「小さな蛇」と呼んだ者を17世紀にフランス人入植者が「スー族」と縮めて呼んだ事が始まりです。略称ではありますが、インディアン部族同士でも蔑称で呼び合うような文化を持っているので特例な事ではありません。ちなみにいまだに「スー」とは公式の部族名として使用されています。